2014年最大の試練更新しました
保育園閉鎖て。
2014年、1ヶ月か2ヶ月おきくらいで大事件が起き続けている。息子の情緒不安定が落ち着き始めた頃を狙って次の事件にうちのめされる。
それでも、いつでも変わらず受け止めてくれる保育園があったから、大好きなまりこ先生がいたから息子はなんとかやってこれたのですよ。
よく、先生にお母さんと呼びかけてしまうみたいな話があるけど、うちは家の中で私にまりこ先生って言ったからね。色々衝撃だったよね。
そんな保育園が閉鎖だそうで。
お盆休み中も息子は「今日は保育園いく?」「今日は?」と毎日聞き続け、挙げ句せつなげに「なんでまりこ先生に会えないの?」とまで言っていた、その保育園が閉鎖だそうで。
環境激変、しかしまりこ先生の力はもう借りられないって。
私の仕事復帰も控えているのに…。
つか仕事復帰できるのか?
下の娘はこの保育園で6ヶ月から預かってもらえるように、妊娠中から予約していたのですが
保育園激戦区なので、0歳児はもちろん2歳の息子も、年度途中でどこにも行き先は、ない。
血の気が引いたけど、今の保育園で尽力してくれて、一つの認可外に受け入れの約束は取り付けてくれたそうです。(先生それどころじゃないだろうに…。ありがたい)
ただまあ、見学に行ってみてこっちの希望と合わなければやっぱり路頭に迷う。
実は今の保育園は家から遠いので(車で片道30分弱)、この機会に近くで探したい気持ちもある。
でもないんですわ!保育園もないし空きもない。
来年になれば息子は幼稚園に切り替えるという手もあるけど最大の問題は0歳の娘。認可外でも0歳は空き待ちなんだって。
まあどう考えても、多少の不満には目をつぶって、紹介されたところに入れていただくしかないでしょうね、という夫婦の結論が先ほど出たところです。
余談ですが、私はわりと優柔不断で、一度決めたことにもネチネチ悩む方です。大きな決断ってすごく苦手。
こういうとき、夫がいてよかったなあって思う。
結局のところ、どんな結論を出しても良い面と悪い面が出てくるわけで、悪い面ばかりを見ているならばいつまでも「やっぱりあっちにすれば良かった」って思ってしまう。
ポジティブ人間の夫が「これでいいんじゃない?」と言えば、そうかこれでいいのかと決められるし、決断後に「でも」「やっぱり」ってあんまりならないから、結果として「こっちに決めて正解だった!」と思うことが多い。
そんなわけで、(多分紹介されたところに)転園します。
再び、息子荒れます。 (断言)
平和って、どこにあるんだろう…。
☆おまけ☆
「お母さんは(息子)がだーいすき!」連発で赤ちゃん返りを迎え撃った結果、息子は私がピリピリしてるのを察知したときに「(息子)はおかーたんだーいすき!」と言ってくるようになりましたとさ…。うう…。
平和宣言(希望)
息子と私の赤ちゃん返り戦争は、一応の終結をみたのかもしれない。
ここ数日、私たちは比較的平和に過ごしています。
といっても、あいかわらず甘ったれてるし外では一歩たりとも歩かないしご飯は食べさせてもらいたがるし納豆ごはんしか食べないしすぐ泣くしだだこねるし夜驚症も絶好調だしトイトレもりせっとしたままだし、書き出してみたら何も解決してない感でいっぱいですが。
変わったのは私の心構えかもしれません。
前記事の通り、なんでもかんでも「いーよー☆」といったん受け止める運動は継続しています。これが一番効果的だったような気がします。
例えばこんなことがありました。
夫の誕生日をケーキで祝ったら数日後のことです。
息子が突然ケーキが食べたいと言い出しました。
ケーキは誕生日だけだよ
今日はケーキは買ってないよ
もうすぐご飯でしょ
また今度ね
代わりにバナナ食べよう
たぶん、上記のどれをとっても息子はギャースカ泣いたと思います。
でも
そうだね、ケーキ食べたいね
と返したところ、機嫌よく「うん!」と言いました。
どんなケーキ食べたいの?
んーとね、いちご!
そっか~。イチゴのケーキおいしいよね。
うん!
お母さんはどんなケーキ食べようかな
んーとね、チョコの!
そっか~。じゃあお父さんは?
と、大変穏やかに会話が進み、以降ケーキの話は出ませんでした。
まあそうだよね…。
私だってしょっちゅうパフェが食べたいとか沖縄旅行に行きたいとか言うけど、「今日はダメ!」「お金ないでしょ!」とか言われたら嫌だわ。
よく、赤ちゃん返りが激しくてーと言うと、かまってあげなさいとか上の子を優先してあげてとか言われるけども、やってるっつうの、これ以上どうすりゃいいんじゃー!と思ってました。
うちの場合の正解は、「してほしいことを全部してあげる」ではなくて、「してほしい気持ちに共感する」だったみたいです。
余談ですが、こうやって言葉で働きかける方針に切り替えてから、息子の言語能力が飛躍的に発達したような気がします。
もともとよくしゃべるやつではあったのですが、赤ちゃん返り真っ只中の間は気持ちを言語化する前に泣いて騒いでって感じでした。
それが今や、出来事の経緯を説明するとか、一度話題になったことについてふりかえって補足情報をつけるとか、「今この場」以外の物事にまで言及するようになっている。
会話として成立するかどうかはおいといて、自分の気持ちを共有してもらうために、情報を言語マシンガンで打ち出してきている感じです。
見て、電車が来たよ。ほんとだ、電車だね。という会話のあとに、「今電車が来たの、(息子)が教えたんだよ!」
とか
夫とバトルしたらしい後に、「おとーたんに怒られたの。でも(息子)は悪くないの」
とか。
もうね、こんだけベラベラしゃべっておむつも自分で着脱するのに何でトイレいかないの?って感じ…。
いや、一歩ずつですよね。はい。
息子はこうして自分の感情を処理する手段の一つを習得しつつあるし、私は怒鳴り散らさずに済む方法を学びつつあるようです。
全然まだまだキレてますけどね、お互い。
引き続き精進します~。
明るい家庭とぎっくり腰
前記事の通り、呪文を唱え続けていたらわりと平和に数日過ごせました。
しかも思わぬ副産物があって、「だっこ!」から「フタ開けて」まで全てを「いーよー!」で快諾していたら口癖になり、息子ばかりか夫にまでそれで通すようになったのですが、これって実は言ってる方も気分がいいのですね。
そのうち夫も「いーよー!」ユーザーになったのですが、もちろん頼み事をしたときの返事がこれだとさらに気分よし。
なんとなく家庭が明るくなったのでございます。
このまま赤ちゃん返り戦争終結しちゃう?明るく楽しいステキな我が家になっちゃう?
と、思っていたのですが
31歳、夏。またひとつ大人の階段を昇ってしまった。
ぎっくり腰はじめました。(診断確定)
— えり (@yasumilk0923) 2014, 7月 29
こんな次第で
私が体調を崩すと速攻で息子が情緒不安定になるのですが、母ちゃんがいつもニコニコ元気フルパワーで子の要求に応えるもんだと思ってるとはなんて甘えた野郎なんだと思ったらあいつまだ二歳だった。
— えり (@yasumilk0923) 2014, 7月 30
こうなって
なんかもうすごい分かりやすく荒れてますね、2歳の人。
ギックリ腰だって言ってんのに朝起きた瞬間から眠りにつく間際まで抱っこ抱っこ抱っこ抱っこ…。
「いーよー!」とは言いかねる。
言いかねてると泣き叫ぶ。
抱っこして腰を破滅に追い込むか、拒否して号泣されて精神破壊コースか。ちょう嫌な二択。
もうね、「お母さんは腰が痛くて抱っこができない」という状況に燃えちゃってますからね。そのような状況においても自分を最優先してくれるのかを試したくて仕方ないですからね。
一刻も早く腰が治るのを祈る今日この頃です。
赤ちゃん返り解除の呪文(速効性はありません)
なんと、昨日は息子は泣かなかったし私も怒鳴りませんでした。
保育園があったし、夫は休みだったし(それはそれでイライラすることもあるんだけどそれは置いといて)、私は友人とお茶をして久々に人語でおしゃべりをしたのです。コブ付きだったけどコブまだ小さいから話に割り込まないしチョロチョロしないし余裕。満腹にしとけばおとなしく転がってる素敵カワイイ最高。
さて、私は数日前から、隙あらば息子にこう言ってきました。
「お母さんは、(息子)がだーいすき」
赤ちゃん返りがひどくて、と相談すると、皆「甘やかしてあげなさいよ」と言う。でも甘やかせない状況を選んで駄々こねてくるから困ってるんすよ!
ていう状況だったわけですが、まあ要するに
「アタシのこと本当に好き?愛してる?証拠を見せてよ!」
的な、めんどくさい系彼女の心境な訳ですよね?
「愛してるって言ってよ!言わなくてもわかるだろじゃないのよ、言葉にしてくれなきゃ不安なのよ!」
ってことでしょ?
じゃあ言ってやるよ!!!!
まあ、マジギレしてるときに言って「今そういうことを言ってるんじゃないのよ!」的な、火に油を注ぐ結果になったりしましたけど。
タイミングが噛み合うと、息子は嬉しそうでした。
こっちに余裕がない日は全然心がこもらなかったけど。
あと、なるべく要求には応える運動も継続。
同じく希望を叶えるのでも、あえて「いーよー!」と明るく言って、「あなたがしたいといったことを私は受け入れました」アピールをしてみた。お茶飲みたいとかフタ開けてとかに至るまで。
ちょっと手が離せないときに何か要求されても、
「今(娘)におっぱい飲ませてるから後でね」
ではなくて、
とりあえず「いーよー!」
待たせてる間に、どのコップでお茶飲む?とか、どのくらい飲む?とか、会話で間を繋いだりして。
今すぐどうしてもお茶がほしい!
のではなく、
妹の世話より僕を優先して!
ってことなんだろうから、それでいいみたいです。
で、それらを継続したところ、冒頭の結果に至りました。
今日は午前中、夫と娘は留守番で、私は息子と二人でスーパーに行きました。一週間前は想像もしなかった事態です。夫がいるなら息子を見ててほしかった。少しでも離れていたかった。
でも、今日は私たちはニコニコして二人で買い物に行けた。夢でも見ているんだろうか。
もうこれをもって赤ちゃん返りバトル終戦と見なしていいかしら、と思いましたね。
でもさっき息子ははっきり言いました。
「ねえおかーたん」
「なあに?」
「おっぱいのみたい」
…。
…。
まじか。
妊娠後期、息子二歳四ヶ月の時点で私のお腹のはりがひどくて強制断乳したんですけど、大泣きした後わりとあっさりやめられたんですけど、娘が生まれてから結構おっぱいに執着してて、でもはっきり口に出さないのをいいことに気づかないふりしてたんですけど、ここにきてまさかの直接要求。
「いーよー!」
とは言えんだろ…。
道はまだ長そうです。チーン。
解答求む
たった2歳の子供が罪もないわがままを言って泣き叫ぶのを、今日もかっとなって怒鳴り付けました。
息子が泣き止んで、ほっとして同時にすごい罪悪感に襲われて、謝ってはみたけれど、子供にしてみたら怒鳴られたこともその後態度を豹変させて謝られたことも恐怖でしかないだろうし、私は自分が罪悪感から逃れたいために謝ったに過ぎないんだと思って自己嫌悪です。
息子は甘えたいだけだし、わがままをいうことで私の愛情を測ろうとしてるのも分かってる。
でもさ、腕は二本しかないんですわ。
保育園に迎えにいったら、帰らない車に乗らないと言う。じゃあどうしたいのと聞けば抱っこして散歩に行きたいと言う。
しかし、保育園の2つしかない駐車スペースに車を放置して、首の座らない赤子と13キロの息子を抱いて、一度歩き始めたら決してもういい帰ろうなどとは言われず帰ることもできない散歩に出ることなどできない。
代替案は全て却下され、そうこうするうちに娘もギャン泣き始め、結局力尽くで息子を車に押し込め、窓ガラスが割れる勢いで二人分の泣き声が響く車を運転して帰りました。息子を怒鳴りつけながら。
ここで気持ちを書き出すようになってから、息子の気持ちについても建設的に考えることができるようになってきて、うまくやり取りできる日も出てきました。
お互いに余裕があれば、抱っこしたり一緒に歌ったり笑ったりもできて、息子のことをたくさん甘やかして平和に過ごせる。
じゃあ、実際問題どうにも動きようのないときってどうしたらいいんすかね。
今日の出来事に対する正解の行動が分からない。
ちなみに帰宅してからは
こんな感じで
おかずを作っても作っても息子が納豆ごはんしか食べないのですがそれがなんだというのでしょう。今夜はシチューだったけど納豆ごはんを二杯食べて終わった息子がカレーのCMを見てカレー食べるって泣いてるんだけど泣きたいのは私だけどもう涙も出ねえ
— えり (@yasumilk0923) 2014, 7月 24
もういいや別に夕食が数日納豆ごはんだって死にやしないしっていう境地には割と早い段階で達してるんですけど、
娘を寝かしつけたくて(添い乳でなければダメ)、眠気と空腹で娘が大泣きしてる時に息子に色々やられるとホントに辛くて、
息子の散歩行きたいとか着替えたくないとかの主張はそれ自体を要求しているのではなくて甘えたい気持ちの表出なのは分かってる。
だから、娘が泣いてるときにこそ息子は譲らない。
私が娘を放置して息子の世話に回るかどうかを試してる。
そこまでは分かってるんですわ。
でも、腕は二本しかないんですわ。
私はどうしたらいいんですかね…。
ダム放水
今日、息子はキャッキャ笑ってました。
いや、要所要所で泣いてはいたのだけど(ちくわをもう一個食べたいとか、着替えなどしねえとか)、概ね上機嫌だった。
多分、やつの行動自体は毎日そう大きく変わらないのだろうけど、同じ行動を私が頭ごなしに叱りつければ大泣きするし、笑い飛ばせば機嫌よく次のミッションに取り組むのだと思う。今日機嫌がよかったのは私の方かもしれない。
なぜなら今日は保育園があったからね!!!!
昨日と一昨日、保育園は休み・夫は仕事というこの世の地獄を、私は実家の母に全面的に頼るというわりと最終的な手段で乗りきりました。
息子を叱りつければかわいそうにと咎められ、なだめすかせば「(息子)の言いなりね」と言われ、総評として「(息子)みたいな育てやすい子で音をあげるなんて」と言われましたが、母はそのとき思ったことをそのまま発信しているだけで深く受け止める必要はないんだと自分に言い聞かせつつ頼りました。
ここ数日、心が常に「あと一滴で溢れます」という余裕のなさで、息子のちょっとのわがままとかちょっとの悪ふざけで簡単に氾濫していたのが、それでやや余裕ができたらしい。
そして平日。ついに平日。
日曜祝日を呪わしく思う日が来るなんて子供の頃は想像もしなかった。平日こそ素晴らしい。
私は今日、息子の行動に笑顔を返すことができたし、その結果息子からは笑顔が返ってきた。
私が笑えば息子も笑うんだ、と実感した。
でもこれって、「だから笑っていなさい」と言われてできることじゃないよなあとも思う。
2日間寝かしつけ関連の面倒事を母に丸投げしたことによってコップの水が減ったのであって、あと一滴で溢れますってときに笑えと言うのは無理な話。
情けないけれど、今の私には保育園とか母とか、心に余裕を作る時間(息子と離れる時間)をくれる何かが必要みたいです。
私は今日、久々に息子をかわいいと思った。
自分でこれを文字にしてぎょっとしたけど、書き残します。
納豆投げましたごめんなさい
保育園は連休なのに夫は仕事。無理がある。
昨日は息子は日中保育園に行ったし夫も家にいたというのに、
こんな感じで
かーたんとおふろ入る!→うんち!おふろの前にトイレ!→とーたんトイレするの見てて!(超長い)→うんちでない!おふろ入る!→かーたんじゃない!とーたんとおふろ入る!
いや入ってくれれば何でもいいんだけどさ、冒頭から全裸待機してた私の気持ちにちょっとだけ思いを馳せてほしい。
— えり (@yasumilk0923) 2014, 7月 19
夫は一日をふりかえって「なんかすごく疲れた」って言ってたけど息子といたのは数時間だし私明日と明後日一人でこれやるんですけど。
でも、息子がどんだけめんどくさいことになっても、夫がなるべく怒らないように、息子の気持ちを受け入れるように頑張ってるのは分かった。
だから私も昨日は怒らなかった。
しかし、気持ちを立て直すには睡眠時間が短かったらしく(何で夫が休みの日の方が圧倒的に子の就寝時間が遅くなるのかな?そのあと家事するとぐったりだよ。あと昨日は娘が日付変わるまで寝なかった)、朝起きた瞬間からわりとうんざりしていた次第。
娘は泣くし、授乳で動けないのに息子は抱っこしろとか朝食を早く出せとか着替えなんか絶対しないとかトーマス見せろとかエミリーの話じゃなくてファーディナンドの話だとかぐらぐら橋の歌が出てくるシーン(5秒くらい)を見せろもう一回見せろもう一回見せろもう一回見せろもう一回見せろもう一回見せろ(以下略)とか言うし、必死でおかずを作って出したのに納豆ごはんがいいとか泣き叫ぶので
そんなに納豆がお好きなのであればこの先の人生ずっと食卓に納豆のみの祝福がありますように。わたくしのお出しする食事などお口汚しですから差し上げるのは今後遠慮いたします。
という主旨のことを、とても外には出せない言葉で吐き捨てつつ納豆のパックをぶん投げました。
納豆と夫と息子、本当にごめんなさい。反省しています。モノにあたった上に食べ物を投げるとか最低でした。
夜は実家の母に頼りました。寝かしつけてもらった。
あんなクソめんどくさい生き物にぶちギレることなく付き合える「おばあちゃん」という人種、アレなんですかね。聖女?
私と母との関係は色々あって素直に頼れる感じではなかったのだけど、もういい。
息子が笑顔でいられて私が納豆を投げずに済むなら頼るよ。
ところで今日は、化粧道具の入ったカゴを出してきたところとそれをしまったところは記憶しているのだけど、夕方になって鏡をみて、自分がスッピンであることに気づきました。一つのことをやり遂げることの難しさを痛感する毎日です。